むかし、私が師事した先生に一人、記憶に残る一言を言ってくださった方がいた。
その先生は、大学ではめずらしく授業がとても面白かった。
何が面白い、という具体的なところは挙げにくいのだが、強いて言えば「何が興味深い点なのか」を丁寧に説明してくれることころが、私は好きだった。
例えばこうだ。
ある現象について解説をする時、現象や事実だけを知っても、学問は面白くない。だがその先生は
「◯◯という現象を研究した人は、おそらく◯◯に興味を持って研究を始めたのではないかと、私は思うんですよ、勝手な推測ですがね」
と、必ず自分なりの解釈を付け加える。その解釈が、教科書的な観点とはちょっと違った切り口になっていることが、とてもおもしろかったのだ。
そして、学年の最後の授業でのことだ。先生は最後のしめくくりとして、自分の話をはじめた。
「私、じつは昔は哲学を志していたんですよ」という話だった。
私は驚いた、地球科学の先生が、哲学とは、あまり想像がつかなかったのだ。
「なぜ、哲学ではなく、地球科学の道に入ったのですか?」
と誰かが質問した。すると先生は
「現実的には、哲学では食えなくてね……。でも考えているうちに哲学よりも地球科学のほうが魅力的になった。」と言った。
「では、哲学の夢を諦めて、地球科学の道を志したのですか?」とまた誰かが聞いた。
先生は言った。
「そういうことじゃない、地球科学が私の夢になったんだよ。」
しばらく皆、黙っていた。
先生は私達が訝しげな顔をしているのを見て、言葉を継いだ。
「夢というものは、生きていくうちに変わらなければ、成長していないということなんだよ。」
私達はまだ黙っていた。
「例えば、君らが子供の時は何が夢だったか憶えているかね?
野球選手?それともケーキ屋さん?でも皆成長とともに、そう言った夢は忘れてしまう。いや、忘れるというよりは、上書き、アップグレードといったほうが適切かもしれない。」
私たちは頷いた。
「では、高校生の時は何が夢だったかね?では今は?おそらく君たちは、働き始めてからもどんどん夢は変わっていくだろう。
それでいいのだ。成長は古い世界観をこわし、新しい世界観を手に入れた時にやってくる。単純な世界観を捨て、複雑なものを見ることができるようになる、ということがオトナになるということだ。
電車がカッコいいから電車の運転手になる、ケーキが好きだからケーキ屋さんになろう、ゲームが好きだからゲームを作りたい……。そういった単純な世界観ではなく、世界の広がった君らは、電車に変わるものを作ろう、電車の原理を応用しよう、電車をもっと安全にしよう、といった概念を持つことができる。」
先生は最後に言った。
「私にとって哲学は一種の装飾品だったのだよ。それは子供っぽい憧れで、自分のためだけの夢だった。いや、よく考えもせず「夢だ」と思いこんでいた。だが、私は地球科学の世界に触れて「責任を引き受けよう」と思ったんだよ。私がやらなくて、だれがやるのかってね。」
それから人の「夢」を聞く時には
「この人はどんな責任を引き受けようとしているのだろうか」
という観点で聞くようになった。
多分、それが大人ってものだ。
(2024/4/21更新)
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(maria)